初めて訪れた場所で驚くのは、いつものことだ。しかし、中国は、イメージギャップが予想外に大きかった。
時折耳にしてきた、社会制度や庶民的ライフ・スタイルの違いに関する情報から導かれる中国のイメージは、結構いかついものがあった。日本で出会う留学生の友人たちは、日本流のつきあい方を知っているので、母国そのものを体現していない。
訪れてみて圧倒されるのは、そのエネルギッシュさである。音に無頓着とも思える騒音で、遠距離バスの中でも、タクシーでも、待合所でも、大きな音でラジオや音楽がひっきりなしに流れている。対話の声も大きい。交通渋滞の中でトラブルになり、当事者どうしが、主張を譲らない場面を何度か見かけた。そういう時、どんなに大声を出しても、手を出さなかった。
もうひとつ、ほとんど知らなかったことに、満州があった。120万人とも150万人ともいわれる日本人が、ほんの70年前には中国で暮らしていた。そのことに、ほとんど無自覚であったのは、なぜだろう。中国残留孤児、という単語は報道用語として耳に馴染んでいた。しかし、残留になった理由、残留の方々の人生など、一般常識というべき内容に、ほとんど接する機会がなかった。今の若い大学生も、特に関心をもっている人たち以外は、あまり知らない。
アジアにおける日本、ということを毎日のように見聞きする。しかし、かつてアジアの地で生きた膨大な数の日本人が、どんな思いで、どんなふうに、そこでの人生を歩んだのかを、当の日本人ですらほとんど知らない。足元の日本のことを知らなくて、対人関係の相手であるアジアの近隣諸国の気持ちが、わかるはずもない。アジアでの日本は戦争加害者、原爆では被害者、といったシンプルさで、国際関係のイメージが形成されやすい。多層的な戦争状況に対し、それではあまりにも、雑な気がする。
さきごろ、重慶や北京でのサッカー応援で、日本人サポーターと一部の中国人サポーターのあいだに摩擦があった。今いることを理解するために、自分の国、ロシアやアジアなど、近くの国ぐにとの人間関係を、より深く理解したいと思う。
ロシア軍の追撃の中を満州から引き上げてきたなかにし礼氏の足跡を辿るドキュメンタリー番組があった。なかにし氏の淡々とした語りは、深い心の底から湧き出す泉のようだった。どんなに怖かったろう、悔しかったろう、無念だったろう‥。第2の故郷とも思っていたところに対する現実を再確認できたので、淡い期待を捨てられる、これからも生きていける気がする、といった趣のメッセージを残しておられた。 |