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チェンギ刑務所礼拝堂
チャイナタウン
日本占領時期死難人民記念碑
日本人墓地の作業隊殉職者之碑
など
日本人墓地
クランジ戦没者共同墓地
クランジ戦没者共同墓地の記念碑
ジョホール水道
セントーサ島・シロソ砦
シティー・ホール
ダン・ジョン・パガー駅
市内に残るトーチカ

マレー半島最先端の小さな国シンガポールは、地理上の利便性から、紛争に巻き込まれてきた複雑な歴史がある。国土は東京都とほぼ同じ大きさで、現在の人口は約410万人。亜熱帯気候の南国の国だが、人口密度が高い都市なので、国民の7割が高層マンションに住む。国民の8割弱が華人系で、その他にマレー系やインド系の人びとも暮らす。英国の植民地だった時期が長く、今も英語がよく通じる。8月9日が独立記念日の祝日。

■シンガポールの歩み
シンガポールは、14世紀あたりから、欧州各国の調査船や交易船の自然な寄港地となっていた。土地が狭く痩せており農業には不向きなことから、現住民の祖先は海賊ともいわれる(漁業を営む原住民たちのところへ、外国船が頻繁に立ち寄るようになった。どんな立ち寄り方をしただろうか。原住民が海賊なのか、外国船が海賊なのか…、調べていないので不明)。

1613年にはポルトガルに侵攻され、1819年からはイギリスが主導権を持ちつつ土地を開墾した。1832年から東インド会社が運営する海峡植民地となり、1858年からはイギリスの直轄地となる。日本が支配した3年間を除いて、英国の直轄領だった時期が続く。1955年から自治の動きが始まり、1958年からは4つの言語(英語のほか、中国語、マレー語、タミール語)が公用語となり、多民族国家としての様相を明確に打ち出す。1965年にマレーシア連邦から分離独立して、今日のシンガポール共和国となっている。

 

■日本との関わり
シンガポールに日本の軍制が敷かれたのは、1942年からの3年半である。

1941年12月8日、日本軍はハワイの真珠湾攻撃よりも1時間ほど前に、マレー半島北部のコタバルとタイ領南部へ上陸作戦を開始した。日中戦争継続に必要な物資の確保を目的として、日本軍の「銀輪部隊」(自転車部隊)は一気にマレー半島を南下した。1942年1月11日にマレーシアのクアラルンプールに到達、2月15日にシンガポールを陥落させた。

市街中心部を空爆し、市全体に配水する水道を手中に収めた日本軍に、英軍は降伏し、13万人が捕虜となった。この降伏は、その後に捕虜多数が泰緬鉄道建設で死亡したこともあり、英軍最大の失敗であり、汚点であるといわれている。その犠牲となった兵士たちは、アジア各地に手厚く葬られている。それらの墓苑はほぼ同形式で建設されており、今日も慰霊の花が各地に絶えない。ひとつひとつの墓碑には、兵士の名前、年齢、所属、殉職年月日のほか、家族からの慰霊の一言が刻まれているものも多い。

日本軍はシンガポールを「昭南島」と改名し、華人弾圧と皇民化政策を強行した。日本軍憲兵は約80万人といわれた中国系住民に対し、2月21日から検閲を実施。「反日分子」と「適性分子」に分け、「反日分子」とされた人たちは、トラックで海岸に運ばれて射殺されたといわれる。亡くなった人は5千人とも5万人ともいわれている。南京での出来事と同じように、戦争の当事者間で、被害者数は食い違いをみせる。

それまで日本軍は戦争目的として、「アジア諸国をヨーロッパ人の植民地支配から解放し、日本を盟主とする『大東亜共栄圏』をつくるため」と説明してきた。しかし、長引く日中戦争のなかで、中国支援を続けるアジア諸国各地に住んでいた華人に対する日本軍の追撃行為が、今日のアジア諸国で、日本軍の非道さとして記憶に残る結果を招いていることが多い。日本はこうして、自国の軍と民はもちろん、英軍にも華僑にも大きな犠牲を出しつつ、1945年8月15日に無条件降伏し、シンガポールでの日本軍政を終えた(降伏署名は9月12日)。

 

■シンガポールの戦跡
戦跡は、その国の歩みと、現在の国際関係を反映する。シンガポールは土地が狭く、第一次産業がほとんどないことから、観光都市としての開発が続く。戦跡も、都市化と観光化の波にもまれ、刻々と変化しているように見えた。

主だった戦跡としては、イギリス植民地化時代のものと、日本軍占領時代のものがある。今日、シンガポールでは華人の力が大きい。そのため、華人に悲しみと憎しみの記憶を残した日本軍の存在は、モニュメント化したスポットとして比較的整備されている。観光化・商用化されているところも、一部に見受けられる。

シンガポールの日本軍関係の戦跡で代表的なものとしては、「チャンギ刑務所礼拝堂・博物館」「シロソ砦」「戦争記念公園」「クランジ戦没者記念碑」「日本人墓地」「タン・ジョン・パガー駅」「ジョホール水道」「チャイナタウン」「晩晴園」「ブテキマ高原のフォードビル」などがある。マレー半島全体の詳しい戦跡関係の地図が、メディアアート社から出されており、参考になった。チャンギ刑務所の購買部で買ったが、一般市販されているもののようだった。

 

■チャンギ刑務所にて
「チャンギ刑務所礼拝堂・博物館」は、日本軍が英国軍捕虜や政治犯を留置し、そこから泰緬鉄道の労働へ移送していった刑務所である。第二次世界大戦後は逆に、日本軍の戦犯が留置・処刑された。

かつての場所に今も使われている刑務所があり、時計台などは敷地内に当時のまま残っている。礼拝堂は近くに移転し、博物館も新築されていた。展示は、主に日本軍がシンガポール市街をどのように爆撃し、住民がどのような被害を被り、英軍の捕虜がどのように扱われていたかを、時系列で展示した写真パネルと関連遺品の展示が主だった。体験者の語りが音声で次々と流れる照明の暗い空間もあった。

礼拝堂は当時のままのものを保存してあり、訪れる人びとのメッセージが多数ピン留めされていた。無料の英語ガイドツアーがあり、華人の子供から老人まで66人が処刑されたという近くの海辺や、日本軍上陸に備えていた英軍の大砲設置跡などを、小1時間かけて回った。日曜日だったが、観光バスに15人くらいが乗ってきた。ガイドさんもこちらが日本人であることで、少し気を使いつつ、しかし日本軍の行いを糾弾する説明内容は手厳しかった。

ツアーが終わったあと、アジア系の4人家族がガイドさんに、「よく言ってくれた。あなたのいうとおりだ」と握手を求めていた。ガイドさんが、日本人も日本軍がシンガポールで何をしたかをもっと知るべきだ、といっていた。戦後生まれの日本人が知らない日本軍の記憶が、現在のシンガポールに色濃く根付いていることを痛感させられるツアーだった。同館の購買部には、英語の関連書籍や体験談集、ガイド本、地図、写真集などが多数売られており、情報収集に役立った。

華人への検問が行われた「チャイナタウン」は、今日の観光名所のひとつとして賑わっている。当時の憲兵が宿泊していた建物なども残っている。シンガポールの華人が日本軍に対して抱いている感情など全く知らないまま、日本の観光客が多数ここを訪れていることだろう。「晩晴園」は時間がなくて訪問できなかったが、虐殺の記録や遺品などの展示があるということで、作家の早乙女勝元氏らの聞き取り調査に詳しい。

 

■その他の戦跡
今日のシンガポール観光の中心であるシティーホール駅から徒歩3分、観光ショッピング街として最も有名なラッフルズモールのすぐ隣に、「戦争記念公園」がある。公園のなかに、「日本占領時期死難人民紀念碑」(中国語)という高さ68mの慰霊塔ある。日本軍の侵攻25周年に当たる1967年2月15日に建てられている。シンガポールが日本軍に占領されてからの10日間に虐殺された、多くの華人たちの霊を慰めるための塔で、塔の下には無名の犠牲者たちを埋葬していると説明書きされていた。塔は細い四本の塔を組み合わせあり、それぞれの塔が中国人、マレー人、インド人、その他の人びと、を表象している。

そこから歩いて数分のところにある「シティーホール」は、日本軍が降伏する時に調印した場所でもある。この他にも近辺一帯に、日本軍に関係するものがたくさんある。

日本軍がシンガポールに入っている時に渡った「ジョホール水道」は、マレー半島とシンガポール全体をつなぐまっすぐな橋(道路)だった。歩いて渡れる距離で、午後遅い陽射しが水面に反射して眩しかった。訪問した2004年7月はマレーシアのテロ事件が続いていたこともあり、軍事警戒の下にあった。

シンガポールからマレーシア、タイ、を抜けてビルマに続いていた鉄道の始発駅「タン・ジョン・パガー駅」は、1932年に建設された。今日も2泊3日かけて3カ国を通るマレー鉄道の始発駅である。タイとビルマ国境は現在、鉄道ではつながっていないが、石造りの駅全体は、1942年当時と変わらない。

シンガポール防衛戦で1939年から45年の間に亡くなった英国軍兵士たち4000人は「クランジ戦没者墓苑」に、日本人関係者は「日本人墓地」に、弔われている。日本人墓地は、1894年に日本の僧侶が草庵を建てたことに始まるもので、紆余曲折しつつ今日まで存続している。高級一軒家街の中にあり、作業隊殉職者之碑、寺内貫太郎南方軍総司令官や戦前のからゆきさんたちのお墓、軍属のお墓など、約900基がある。しかし、英国軍の墓苑に比較すれば実に小さい。地元と見受けられる一家が敷地内に住んでおり、声をかけたらお堂を開けてくれた。

シンガポールの最南端にあるセントーサ島は、シンガポール防衛の最先端基地でもあったところで、1885年に英軍が「シロソ砦」を建設した。以来、いくつもの戦闘を経験しており、日本軍の侵攻に最後まで英軍が抵抗した島でもある。しかし、今日は完全なリゾートアイランド化に向けて建設工事が盛んに行われていた。シンガポールの歴史を伝えるイメージ・オブ・シンガポールという展示館も、訪問した時は改修工事中だった。市街中心部にあった歴史博物館も移転しており、戦跡だけでなく戦争関係資料館にも、開発の影響が著しかった。

そういった変化の中で、対日本軍の戦闘に使用された「トーチカ」などが、ぽつんと街中に残る。高層ビル街の道路沿いのそれは、残す明確な意志を感じさせた。開発で建物がなくなった場所にも、当時の写真を焼きこんだ記念プレートが建てられていた。戦跡関係のガイド本の充実とともに、戦跡の痕跡を伝えようとする明らかな主張を感じさせる国だった。

正式国名 シンガポール共和国
英語名 Republic of Singapore
国旗
面積 682.7ku(東京27区=617kuとほぼ同じ)
人口 約413万人
首都 S.R.Nathan (S.R.ナザン)
政治体制 大統領を元首とする共和制
民族構成 華人系76.8%、マレー系13.9%、インド系7.9%、その他1.4%
宗教 イスラム教、キリスト教、ヒンドゥー教など
言語 マレー語、英語、中国語(北京語)、タミール語
通貨と為替レート シンガポール・ドル(記号=S$)1S$1=71円(2002年10月現在)
気候 シンガポールは亜熱帯気候に属しているため、年中高温多湿。雨季と乾季に分かれている。10月から3月の雨期は雨が多く、4月〜9月の乾季は雨が少なく、空気も乾燥している。特に6月から8月にかけては日差しが強い。
略史 1959年 英国より自治権を獲得、シンガポール自治州となる。
1963年 マレーシア連邦成立に伴い、その一州として参加。
1965年8月9日 マレーシアより分離、シンガポール共和国として独立。
日本からのフライト時間 直行便は約6時間(現在5社の直航便が運航)
中国韓国台湾北マリアナ諸島ベトナムカンボジアタイシンガポール
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